高1 高2 Global Leadership Programを実施しました

2024.9.13

 本校では立命館学園の教学理念「平和と民主主義」に寄与するグローバルリーダー育成に向け、本校高校生が世界の現実を知り、自分たちの将来に向けてチャレンジする学校プログラムとして「Global Leadership Program」を毎年実施しています。今年度は8月2日~8月13日、高校1年、2年から選抜された4名の生徒が、研修地インドで実施しました。
 インドは今後30年ほどで米国や欧州連合を追い抜くと言われる経済成長が予想されており、世界中から人口世界一、テクノロジーに強い、など華々しい側面が注目される一方で、拡大する貧富の差という課題を抱えています。今回、世界の社会課題を積極的に学び行動を起こすことを目的に、関東の高校さんと共にタイガーモブ株式会社様が企画されるプログラムに合同渡航しました。
 オールドデリーやNGOのアフタースクール、スラム街訪問、Goonj訪問など様々な場所を訪問した生徒たち。街では物乞いをする小さな子供との出会いやアフタースクールでの対話を通して知った子供達の人生を聞き、現地に行かねば出会わない、感じられない、学べないことの詰まった研修となりました。多くの衝撃を受けた生徒たちは、今後その研修内容について発信する予定です。


【参加生徒の振り返りより】

  • 知らない国の人が何に困っていて、どうしたら助かるかを考えることは、すごく難しいけど今のことだけじゃなくてその人が大きくなった時や、10年後でもその幸せを続かせることは可能か、将来を見て現実的な案かをしっかり考えることが必要。また、その人が笑顔になることが私から見た幸せかもしれないが、その人が笑顔になれたとしても本人からしたらそれを望んでいないかもしれない、という可能性を踏まえて、人を助けてあげることが大切だと分かりました。
  • 知らない国に行くことはとても勇気のいることだと思うけれど、恵まれた日本に住んでいるだけでは見たり、聞いたり、感じることのないような体験がたくさんあって自分自身に必ずプラスの影響を与えてくれることだとおもう。また、ニュースやネットの情報は最先端であるものの必ず誰かの主観が含まれており、同じ状況でもみる人によって感じ方が異なる。だからこそ自分の目で見て体験することが必要だと思いました。
  • このインド研修は私にとって、将来に影響する大きな出来事になったと思っています。これから将来の職業を選ぶ際、どのようなことをしていきたいか考える際に、必ずこのインド研修からヒントをもらえると思うので大切な宝物として残しておきます。今回このインド研修で経験したことをこれから発信し、自分にできることを探していきたいです。
  • インドはとても大変な国でした。行って2日、3日目でお腹を壊しましたし、ハエはとてもじゃないが見たことのない量がいますし、交通ルールはあってないようなものでしたし。ですが、そんな国だからこそ思えたこともたくさんあったし、初めてのことが多く起こって生きがいのある国だなと感じました。ヨーロッパやアメリカのような国と違い、気軽にいける国では無いからこその体験がとてもたくさんあったと思います。心の底から行ってよかったと思える研修でした。

【研修での活動と気づき(生徒レポートより)】

  • 私が特に記憶に残っている活動はスラム街に訪問したことだ。スラム街では13歳から18歳の子が通うアフタースクールに訪問し、インドのダンスを一緒に踊ったり、日本のゲームをしてとても楽しい時間を過ごした。その後、スクールに通っている子の家に訪問させてもらった。家までの道中はゴミに囲まれ、大量のハエが舞っていただけでなく、家は大雨によって浸水してしまうことや政府が来たら立ち退かなければいけないと話していた。アフタースクールであんなに楽しそうに笑っていた子の背景にこのような問題があることにとても衝撃を受けたし心が痛くなった。しかし、別の家に訪問した際、家族の一人が、質の良い教育を受けられない貧困層には合格が難しいと言われている試験に合格したことをきっかけに他の兄弟の将来の夢がより具体化し、勉強への意欲が上がったという話を伺った。これらの話から、一人の成功は周りの多くの人に大きな影響や希望を与えるため、このようなロールモデルとなる人を増やし、将来のビジョンや夢を明確に定めることで勉強への意欲が上がり、貧困層から向け出すことにつながるのではないかと思った。
    この他にもGoonjという服に関する貧困層向けの事業のシステムも記憶に残っている。Goonjとは服やその他の物資を貧困層にただ寄付するのではなく、橋や水道の整備など各コミュニティーの課題に対しアクションを起こしたらその労働の対価に物資を貢献という形で提供するというシステムの事業だ。Goonjは寄付とは貧困層の人の人間としての尊厳を傷つけるものだと考えており、私は労働して何かを得るという関係を築きながら地域開発をおこなうという一方的な支援でないこの事業にとても感銘を受けた。また、ここで働いている人の多くはスラム出身の方で、学力がなくても働くことができる環境となっている。このような事業はスラムの人が活躍する機会を生み出すだけでなく、支援を受ける側も一方的な支援に頼らず自分たちの力でアクションを起こすものであるため、このような事業が増えれば多くの人に良い影響を与えるのではないかと思った。一方的な支援や寄付がされる側の人間としての尊厳を傷つけているかもしれないということにGoonjの方のお話を聞くまで気づくことができなかったし、その人たちが本当に求めることをアクションに移す際、必要になった助けを行うことが支援のあるべき姿なのではないかと思った。

  • 私はインドでたくさん物乞いをしている人を見た。特に私は小さい子供が物乞いをしているのがとても印象的だった。その子供たちは私たちがバスから降りた瞬間、手を出して食べるものを求められていて、一緒にインドに行った高校生の中でも、食べ物を渡している人もいたし、渡さないようにしている人もいた。私は渡していいのかダメなのか判断できなくて結局その場では渡さないようにしたが、その後インドに住んでいる日本人の人に聞いたところ、お金を渡してしまうとその子供が裏で悪い大人と繋がっていて渡されたお金がその人の元にいくケースが多いと教えてもらった。また、インド人が子供だけでなく大人に物乞いをされた時、どう思うのかと聞いたら物乞いをする人は税金を払ってないし、自分は働いて納めた税金で物乞いの人を助けるのが嫌で渡さないようにしていると考える人もいた。そう考えることが悪いことだと思わないし、どうするのが正解だったのか今もわからないが、そこから気づいたことは、安定した給料を稼げる職に就けなくて物乞いをして、現地のインド人に悪い見られ方をしているという、負のループを引き起こしてしまっていること。そもそもなぜ安定した給料を稼げる職につけないのか、その原因は、学校教育だと思う。インドでは物乞いをしている子供が学校に通えないのではなくて、学校に通っているが、インドは学年が上がるためのテストがあり、教育の質が悪く一人一人に合わせた教育ができないため、日本でいう中学を卒業できない人も多くいる。そういう人たちが大人になり、一日ほぼ稼ぎのない仕事をして暮らしている。私はその現状を見て、将来どうなりたいとか、どうなったら安定した給料を稼ぐことができるかなど、子供達が将来のことに対して関心が薄いから、学校の質が悪くても何も思わないのではないかと思った。また、大人もそれが当たり前になっているから変えようと思わないと思った。

  • 私がオールドデリーへ行った時に、ある女の子に出会いました。その女の子は寺院の前に住んでいる12歳の子で、学校に昔通っていたけれど両親に家にいるように言われてしまったため行けなくなったと言っていました。その子は無料塾には通っているけれど学校にいきたくても行けないという状況でそのような子供達がどうすれば学校で勉強したり勉強を継続的に続けられるのかということをテーマにして考え、私たちの班でSocial conceptというプランを書いてアクションを起こしました。インタビューを通して、学校に行くことができなかったり、勉強を継続的に続けられなくなった根本的理由を聞こうと思いましたがそれは難しかったので、私たちにできる範囲で考えました。具体的には、たくさんの選択肢の中から自分の興味に基づいて職業を選んだり、夢の実現にむけて高い意欲での勉強を持続させてもらえるようにしたいと考え、様々な職業とその就き方(就職するために必要な条件)を書いたポスターを作り、アフタースクールの子供達に広めるアクションを起こしました。このアクションを行なったアフタースクールは最初に行ったPhiaとは違う場所で、子供たちは英語がペラペラな子が多かったり、スマホなどの情報機器を持っている子たちで、同じスラム街出身の子達でもこれほど違うのかと感じました。アクションは起こせましたが、興味をどう持ってもらうかが難しく、実際に効果があったのかはわからないです。できれば最初に行ったアフタースクールでアクションを起こせると良かったのかなと思いました。私が去年ケニアでプログラムを行った時には、アクションプランを考えるだけで行動には現地で移すことができなかったので、今回インドで実際に行うことができたのは私にとってとてもいい経験になったなと感じています。

  • 私が現地の活動で得た気づきは「常識」です。文字を読める、ゴミはゴミ箱に捨てる、交通ルールを守る…これらのことはすべて日本の常識です。しかしインドでは学校に行っても学びが身についておらず文字の読めない子どもや、街中に転がるゴミ、横断歩道が無い、これらはインドでは当たり前の常識です。決してどちらかが優っていて劣っているという話ではなく、当たり前ですが「自分の常識は他人の非常識」ということを身で感じて知ることができました。特に教育面。私が現地で話した人たちの中には学校に行っておらず自国の文字が読めない、学校に行っても勉強についていけず英語を喋るができないといった人たちがいました。私が学校に行って勉強ができている常識は、この人たちにとって非常識なんだと強く感じました。