8月24日(日)、JR京都伊勢丹内にある美術館「えき」KYOTOで開催されていた「やなせたかし展」を見に行きました。展覧会最終日という事情もありましたが、会場は参加者でごったがえしており、あらためて「やなせたかしワールド」の人気を思い知りました。

アニメ「それいけ!アンパンマン」は、1988年の放送開始から今年で37年目、現在1600話を越えています。映画は36作、絵本は950タイトル(発行部数8,100万部、児童向け絵本シリーズ日本一(1))。キャラクター数は、2009年に「単独のアニメーションシリーズでのキャラクター数」が1,768体でギネス世界一の認定を受け(2)、その後も増え続けています。 このように、現在では不動の人気を誇るアンパンマンですが、アニメがヒットしたとき、やなせさんは69歳でした。

やなせさんが漫画家として独立したのは、34歳の時。途中、テレビ・ラジオ番組の構成や演劇の舞台美術、作詞・作詩をてがけ、多彩な創作活動によりマルチタレントとの評価を受けるようになったものの、手塚治虫をはじめとするストーリー漫画全盛の時代に、「代表作のない漫画家」とのコンプレックスを抱えることになります。

やなせさんは「戦争に真の正義はない」と語っています。現在世界で起きている戦争も、お互いの国が「自分が正義だ。正義のためには相手を傷つけてもかまわない」と主張しています。やなせさんは、自身の戦争体験から「正義のための戦いなんてどこにもなく、正義というのは立場が変われば逆転するものだ」ということを骨身にしみて痛感します。そして、「本当の正義とは何か」を考え続け、「困っている人、おなかをすかせている人に一切れのパンをあげること。これは国が変わっても通じる、本当の正義ではないか」との結論に至ります。

こうした考えから、やなせさんが作った最初のアンパンマンは、人間のおじさんが世界中の飢えた子どもにあんパンを届けるヒーローでした。途中、自分の顔があんぱんで、顔を食べさせるという設定に変更し、絵本の出版になんとかこぎつけますが、大人からは全く評価されません。出版社編集部からは「こんな馬鹿馬鹿しいものを描いても、読者には喜ばれませんよ」と言われ、幼稚園の先生からは「顔をちぎって食べさせるなんて残酷です」とクレームが来ます。

それでも、やなせさんは「不評だろうと何だろうと、僕自身がアンパンマンを深く愛していれば、いつか評価されるときが来る」と信じていたそうです。 その後、3歳児から5歳児の間で、絵本がじわじわと評判になっていきます。この世に生まれて3年くらいの、文字も読めない、言葉もおぼつかない子ども達が、純真無垢な気持ちでアンパンマンを好きになってくれていることを知り、「代表作のない漫画家」であったやなせさんは、それだけで十分だと自分を納得させていました。

転機はその直後に訪れます。 アンパンマンのアニメ化に熱心な若いプロデューサーがいて、テレビ局の上層部に働きかけていたのですが、上記の事情から承認をもらえずにいました。ある日、自分の子どもの幼稚園に迎えにいったとき、一冊の絵本だけが何度も貸し出されたためボロボロになっているのを発見します。それがアンパンマンの絵本でした。それを根拠に、再度上層部にかけあい、ついにアニメ化が実現します。3ヶ月後には優秀番組賞を受賞し、アンパンマンを評価していなかった人々を驚かせました。

69歳にして一躍「時の人」となったやなせさんは、それから超多忙な毎日を送ることになります。途中、最愛の妻のぶさんに先立たれ、病気がちになり、90歳を越えてからは入院、手術、退院を繰り返し、体力の限界から引退を決意します。 そうした折、2011年3月11日、92歳の時に東日本大震災が発生。大震災から3日後のある日、NHKラジオ第1放送の番組がリクエストに応え、連日「アンパンマンのマーチ」を流し続けたところ、「失意の子供たちが笑顔を取り戻した」と大きな反響があったとの話を耳にします。

「こんな自分でもまだやれることがある」と決意したやなせさんは、引退を撤回。被災地向けアンパンマンのポスターを制作したり、東北を励ます曲のCDを自主制作したり、それらの売り上げを全額寄付する等の行動を起こします。

被災地向けに描いたポスターのアンパンマンは、いつものニコニコ顔ではなく、拳骨を握りしめ、戦う姿勢だったそうです。 やなせさんは、語っています。

悲しいとき、絶望しそうなとき、握り拳を作ってみてください。そしてその握り拳で涙を拭くのです。手のひらで拭いては、弱い心を追い出すことはできません。両方のコブシで涙を拭くのです。そうすれば、もう一度生きてみよう、と立ち直ろうとする自分が、涙の中から生まれてくるのです。人の本当の価値が問われるのは、苦境の淵に立ったときだろうと、僕はそう思っています。(3)

やなせさんは、2013年に94歳で亡くなるまでの25年間、自身がアンパンマンとなって全国に「愛と勇気」を届けてくれたのです。

もし、今やなせたかしさんが生きていたら、世界の戦争に苦しむ子ども達、飢餓に苦しむ子ども達のために、何らかの行動を起こしたはずです。

では、中学生・高校生にできることは何でしょうか。 まずは、ニュース等から現状を「知る」こと、どういう経緯で現状があるのか(歴史)、解決の道はあるのか(未来)を「学ぶ」ことです。そして、友だちと語り合うことを通じて、もしかしたら良いアイデアを思いつくかもしれません。そこから「探究」が始まります。

 

先日の「やなせたかし展」のテーマは、「人生はよろこばせごっこ」でした。この言葉には、「人間が一番うれしいことは何だろう。 長い間、僕は考えてきた。 そして結局、人が一番うれしいのは 人を喜ばせることだということがわかりました。 実に単純なことです。 人は人を喜ばせることが一番うれしい。(4)」というやなせさんの思いが込められています。

「人生はよろこばせごっこ」は、本校がめざす「4つのリスペクト」の言い替えである──、と言ったらおこがましいでしょうか?

※9月1日の中学・高校二学期始業式での校長講話に加筆修正しました。

 

注釈

(1) 日本記録認定協会サイト https://japaneserecords.org/japanese-records/36750/?utm_source=chatgpt.com

(2) 日本テレビサイト https://www.ntv.co.jp/info/news/511.pdf

(3) やなせたかし『絶望の隣は希望です!』小学館、2011年。

(4) やなせたかし『やなせたかし 明日をひらく言葉』PHP文庫、2012年。

(5) 上記の他、下記の文献を参考にしました。
やなせたかし『アンパンマンの遺書』岩波現代文庫、2013年。
やなせたかし『何のために生まれてきたの?』PHP文庫、2024年。