常識を疑うのも面白い
─選挙イヤーに考えたいこと─
いま、世間は「選挙」の話題でもちきりです。
アメリカ大統領選挙においてドナルド・トランプ氏が第47代大統領となることが確定し、その後の動向が連日報道されています(高校2年FTコース一行は、開票日に現地到着というタイミングでニューヨーク研修を実施。当初懸念された混乱もなく、国連本部訪問、コロンビア大学教授の講演等、有意義な研修となりました)。
実は2024年は、台湾、ロシア、インドネシア、メキシコ、韓国、インド、EU(ヨーロッパ議会)等、世界各国で国政レベルの選挙が実施された「選挙イヤー」でした。
一方、国内では、第50回衆議院議員選挙を経て石破茂氏が第103代内閣総理大臣となりましたが、少数与党の舵取りの難しさが連日報道されています。また、先日の兵庫県知事選挙では、パワハラ等を理由に県議会で不信任決議が可決、失職した前知事の斎藤元彦氏が出直し選挙で再選され、これも話題となっています(この選挙では、当選する意思のない人物が立候補、SNSを駆使して斎藤氏の当選を「アシスト」したことをめぐる論争が続いています)。
そして本校では、先日中学校の生徒会役員選挙が実施され、もうじき高校の生徒会役員選挙も実施予定です。
このように、国家から学校に至るまで、現代を生きる私たちにとって選挙という仕組みは所与の前提として、日常化しています。しかし、低投票率(先の衆議院選挙は戦後3番目に低い53.85%、10代では43.06%)、一票の格差(有権者1人が持つ一票の重みが不平等であること。最高裁違憲判決あり)、被選挙権年齢が高いこと(日本では衆議院25歳以上、参議院30歳以上。若者が立候補しにくい)等、選挙制度をめぐっては様々な問題点が指摘されています。
そうした折、立命館大学法学部のサイトを見ていたら、「くじ引きで政治家を選んではいけないの?」という「QUESTION」を見つけました。つまり、「選挙ではなく抽選制度を導入すべきだ」という意見、「くじ引き民主主義」です。当サイトには、以下の説明がありました。
私たちは民主主義に選挙は欠かせないと思い込みがちです。けれどもじつは、代表者を選ぶ仕組みは選挙だけではありません。たとえば、古代ギリシャのアテナイという都市国家では、重要な役職者をくじで決めていました。誰が権力の座に就くのかの決定を神(偶然)に委ねてしまうのです。くじ引きは権力の腐敗を避け、民主社会を維持するためのギリシャ人の工夫でした。 近年の政治学でも、民主的な平等の理念を実現するのは、選挙よりもむしろ抽選やくじ引きによるほうがふさわしいのではないかとの議論が始まっています。くじによってランダムに選ばれた人々が国会で議論すれば、多様な意見が政治に反映されそうです。また、くじで選ばれた代表者は、次の選挙で再選するために奔走する必要もありません。そうすると少子化やジェンダーのように、重要だとは分かりつつも、票に結びつかないからとないがしろにされてきた問題や、環境問題のような長期的な課題にもじっくり取り組めそうです。(1) |
これは決して奇想天外な発想ではありません。考えてみれば、15年前、日本で導入された「裁判員制度」も抽選制です(2)。
物事をいろいろな角度から考えることを、「Critical Thinking」と言います。本校が教育目標の一つとして掲げている項目です。
Critical Thinking(批判的思考スキル):「常識」に囚(とら)われることなく、多角的な視点を持ち、論理的・主体的に思考・判断する力 |
「民主主義にとって選挙は当たり前」という「常識」を疑い、探究してみるのも面白いと思いませんか?
〈注釈〉
(1) 立命館大学法学部特設サイト
https://www.ritsumei.ac.jp/law/study/answer16.html/
(2) 最高裁判所サイトには、「裁判員制度は、平成21年5月21日に始まりました。この制度は、国民の中から選ばれる裁判員が刑事裁判に参加する制度です。裁判員は、法廷で行われる審理に立ち会い、裁判官とともに被告人が有罪か無罪か、有罪の場合にはどのような刑にするのかを判断します。」とあります。