「APT.」が世界中の音楽チャートを席巻し、SNSではサビにあわせて躍る動画が流行っているようです。しかし、韓国国内では、そうした牧歌的な風景とは真逆の事態──韓国史上初めて現職大統領が捜査当局により逮捕された──が進行しています。

昨年12月3日、尹錫悦(ユンソンニョル)大統領は「非常戒厳」を宣言。軍隊を動員して国会を封鎖しようとし、野党政治家の逮捕を企てたとされています。その後弾劾(だんがい)訴追が国会で議決され、大統領は職務停止に追い込まれました。そして、今年1月15日に内乱罪(1)容疑で捜査当局に拘束、19日に逮捕されるに至りました。その際、大統領支持者の一部が暴徒化し、窓ガラスを割って裁判所庁舎に乱入する事態へと発展しています(4年前、アメリカでも似たようなことがありましたが)。

「内乱罪」と言えば、45年前の1980年、軍事独裁政権に対する民主化要求で蜂起した光州市の市民・学生を軍部が弾圧、大量虐殺した「光州事件」が想起されます。弾圧を指揮した全斗煥(チョンドファン)大統領は、軍事クーデターによって権力の座に就きましたが、政権交代後、「内乱罪」で死刑判決を受けました(後に赦免)。(2)

さて、今回紹介したいのは、昨年、韓国人初かつアジア出身女性初のノーベル文学賞を受賞した韓江(ハンガン)氏が、光州事件をモチーフに執筆した小説『少年が来る』(3)です。

中学3年生で15歳の「少年」は、軍部による弾圧で行方不明となった親友を探す途中、庁舎で遺体の処理、遺族対応に奔走する市民や学生の活動を手伝うことになる。市民・学生が籠城する庁舎に、戦車や機関銃で武装し大量動員された軍部が容赦なく襲いかかる。はたして「少年」の運命は?──というストーリーです。

これは光州出身の作者が、事件関係者や生存者から丹念な取材を行った、実話に基づく作品です。事件当時から三十数年後の時間軸において、事件の犠牲者がどのように命を落とし、生存者がどのように生きてきたのかを克明な描写で描き出した意欲作です。実は私自身が1980年当時に「少年」と同い年であり、同時代の悲劇として感情移入せざるを得ませんでした。

ただし、この作品の構成や表現方法は「普通」ではないため、読みながらかなりの抵抗を感じるはずです。例えば、小説では極めて稀である「二人称視点」(4)が使われていたり、表現形式が「一人語り」「インタビュー」「日記風」であったり、時系列が錯綜していたり、「文学的技巧」が縦横に駆使された、複雑かつ高度な作品なのです。しかし、読みすすむに従って伏線が一つずつ回収されて行き、すべてのベクトルが「少年」に向かって収斂(しゅうれん)していく仕組みは、複雑な技巧があふれる中でシンプルな一本の軸として作品を支えているため、迷わずに完走できるはずです。(人物相関図をメモしながら読むことをお勧めします。)

今年度、本校は、姉妹校提携を結ぶ公州師範大学附設中学校、鍾路産業情報学校と生徒間交流を行い、日韓友好をすすめてきました。韓国では日本のアニメが、日本ではK-POPが相互に人気のようです。現在の両国を知る上で、それはそれで大切なことです。しかし、現在を見るだけでなく過去の歴史も、正の側面だけでなく負の側面も、学びを深めてほしいと切に願います。「平和」「自由」「民主主義」が息づく未来のために。

注釈

(1) 「内乱罪」とは「政府の転覆など国家の基本組織を不法に破壊することを目的として暴動を起こすことにより成立する罪」(三省堂「スーパー大辞林3.0」)のことです。

(2) 全斗煥元大統領による軍事クーデターをスリリングに描いた映画「ソウルの春」は2023年韓国内で年間観客動員数1位となりました。光州事件を描いた映画としては、「光州5・18」や「タクシー運転手〜約束は海を越えて〜」があります。

(3) ハン・ガン著、井手俊作訳『少年が来る』CUON、2016年。

(4) 小説には事件を物語る「語り手」が存在し、通常は主人公「私」が語り手となる「一人称視点」か、主人物の言動を第三者が外部から語る「三人称視点」のいずれかの形式を取ります。しかし、この作品では、「君」「あなた」「おまえ」が主人物となる「二人称視点」という、非常に珍しい仕掛けが一部に採用されています。