音楽のちから
〜吹奏楽部定期演奏会に参加して〜
本校の正門をくぐると、漢字が刻まれた石碑が目にとまります。
志於道 據於德 依於仁 游於藝 論語述而 白川静撰 川本八郎書 |
これは「論語」述而篇に記された孔子の言葉で、「道に志(こころざ)し、徳に拠(よ)り、仁(じん)に依(よ)り、芸に游(あそ)ぶ」と読みます。意訳するなら、「正しい道を志し、正義と倫理に依拠し、リスペクトの心を持って、学問・教養を楽しみなさい」という感じでしょうか。本校サイトでは、次のように解説しています。
先生(孔子)が言われた、「志向するところは、道であり、拠り所は徳にあり、根本は仁にある。そうして芸(礼儀・音楽・弓術・馬術・習字・算術)の中に憩い遊ぶ」と。知識偏重ではなく、心を育て、豊かになることによって、初めて学問も長じるということを諭す。(1) |
漢字研究者の白川静博士(2)が選定し、学校法人立命館理事長(当時)の川本八郎氏が書をしたためたこの言葉には、立命館守山高等学校の設立に関わった関係者各位の熱い思いが伺えます。
さて、その上で、今回私が注目したいのは「芸」の中に「音楽」があるという点です。
約2,500年前の中国では「士(し)」と呼ばれる位の高い役職につくために必要な教養科目を「六芸(りくげい)」と呼び、「礼・楽・射・御・書・数」の6科目で構成されていました(3)。「音楽」が必修科目だったわけです。
一方、同時代のギリシャ・ローマにおける市民の一般教養科目である「自由科」は、文法・修辞学・弁証法および算術・幾何学・天文学・音楽で構成されていました(4)。やはり、ここでも「音楽」が入っています。
さらに、日本の平安貴族は「詩歌管弦(しいかかんげん)」を基礎教養とし、それは漢詩や和歌の朗詠であり、楽器を演奏することでした(5)。
つまり、古今東西、士族・貴族から市民に至るまで、教育の基礎教養の中に音楽が主要科目として位置づけられていたのです。これは、人々の人格形成において「音楽のちから」がいかに大きかったかを物語っていると言えるでしょう。
かく言う私自身、楽器演奏が好きで、高校1年の時に友人が弾くアコースティックギターの音色を聴いて、「世の中にはこんなに美しい音を奏でる楽器があるのか」と心を奪われて以来、来る日も来る日も練習に明け暮れたものです。当時は、70〜80年代フォーク全盛の時代、長渕剛、さだまさし、NSP、サイモン&ガーファンクル等、ギターアレンジによる作品の数々が私の練習曲でした。歌うことに自信のない私は、楽器を歌わせる楽しさにはまっていたのです……。
そして、3月20日に開催された立命館守山中学校・高等学校吹奏楽部第17回定期演奏会。今回のテーマは「Sparkle(スパークル)」、「輝き・きらめき、活気」という意味です。パンフレットの部長挨拶に「私たちは、一人一人が自分にしか放てない輝きを持っています。本日は、その一人一人の輝きが反射され生まれる、自分一人では生み出すことのできない最高の輝きを音楽に乗せてお届けします」とある通り、例年以上に輝きと活気に満ちた演奏会でした。
歌劇・交響曲からジブリやアニメの組曲まで、クラシカルで端正な輝きを感じた「Symphonic Stage」。
「アナと雪の女王」の世界を舞台上に再現し、アナとエルサの熱演が光った「Musical Stage」。
そして、合唱「YELL」をはさみ、ノンストップで怒濤の輝きを放った「Performance Stage」。
終了後に観客を見送る部員一人ひとりの笑顔が最高に輝いて見えました。
キラキラ輝く生徒たちを見た私は、帰宅後、埃をかぶりかけたギターを手にしていました。
注釈
(1) 立命館守山中学校・高等学校サイト https://www.mrc.ritsumei.ac.jp/introduce/origin/
(2) 立命館大学白川静記念東洋文字文化研究所サイトhttps://www.ritsumei.ac.jp/research/shirakawa/about/introduce/
(3) 『精選版 日本国語大辞典』に、「【六芸】古く中国で、士以上の学修すべきものとされた、礼・楽・射・御(馬術)・書・数の六種の技芸。」とある。
(4) 『精選版 日本国語大辞典』に、「【自由科】ギリシャ・ローマ時代からルネサンス時代にかけて行われた西欧の一般教育の科目。〔中略〕文法、修辞学、弁証法の「三学」、算術、幾何学、天文学、音楽の「四科」の七学科をその内容としていた。」とある。
(5) 『精選版 日本国語大辞典』に、「【詩歌管弦】詩歌と管弦。漢詩や和歌を詠じ、楽器をかなでること。また、その遊び。広く、文学と音楽をさすこともある。」とある。