世界の現実を学び、教室に平和をつくる。
─中3「立命館憲章」を読む授業─
─中3「立命館憲章」を読む授業─
約20年ぶりに中学校の教壇に立ちました。
中学3年の飯住学年主任から、「3年生の道徳の時間に、この度改正された『立命館憲章』をテーマに授業を1時間、お願いします」と依頼を受けました。最初は、ホールで学年全員に向けて1回だけ話すのだろうと思い、「1時間ならいいか」と気軽に引き受けました。ところが、よく聞いてみると「クラス単位で5回やってほしい」とのこと。いまさら断れないので(笑)、快く引き受けました。
中学生を相手に教室で行う授業は、前任校で少し担当したことがありましたが、約20年前のことです。「立命館憲章(以下、『憲章』)」は600字ほどの短い文章で、使われている言葉も難しすぎるわけではありません。けれど、内容はとても深い。これを50分でどう授業にするか、正直かなり悩みました。
悩んだ末、授業は次のような形にしました。前半は、いまを生きる中学3年生のみなさんが、初めて「憲章」を読んでどう感じるのか、率直な声を受け止める時間にする。後半は、私がどうしても伝えたいことを「一つ」に絞って話す。そう決めました。
当初は、「なぜ改正されたのか」「どこが変わったのか」を中心に準備を進めていました。けれど直前になって、考えが変わりました。たしかに、改正によって「変わった部分」も大切です。しかしそれ以上に、改正を経てもなお変わらなかった「魂」こそ、今の中学生に届けたい。そう思い直したのです。
その「魂」とは「憲章」の最後の段落にある言葉──「未来を信じ、未来に生きる」の精神です。本日、3年5組を最後に授業を終えましたので、この言葉の意味について「ネタばらし」することにします。
「未来を信じ、未来に生きる」──この前向きで力強い言葉の背景には、実はそれとは対極にある、日本の痛ましい歴史が横たわっています。
言葉の主は、第二次世界大戦後の立命館大学を率いた末川博(すえかわ・ひろし)名誉総長。現在は衣笠キャンパスの石碑に刻まれているこの言葉の真意を紐解くには、時計の針を80年あまり巻き戻す必要があります。
戦時下の立命館大学には「禁衛隊(きんえいたい)」と呼ばれる学生組織がありました。当初は京都御所の警護を目的としていましたが、戦況の悪化とともに常設化し、軍事教練や戦意高揚の役割を担うようになっていきます。そして、日本全体が戦争へと突き進む中、全国の大学にも同様の学生組織「学生報国会」が結成され、戦争推進の役割を担うことになります。
1943年、兵力不足を補うため、政府は文科系学生の在学中の徴集に踏み切ります。いわゆる「学徒出陣」です。全国で約10万人の学生がペンを銃に持ち替え、立命館大学からも約3,000人が戦地へと赴きました。
そして、数千から一万人とも言われる若者たちの尊い命が失われました。戦後、彼らが遺した日記や手記が遺稿集『きけ わだつみのこえ』として結実し、今も平和の尊さを伝える古典として読み継がれています。
その中の一人、特攻隊員として23歳で戦死した林市造(はやし・いちぞう)さんは、出撃前に母親へこう書き残していました。
| お母さん、とうとう悲しい便りを出さねばならないときがきました。〔中略〕 ほんとに私は幸福だったのです。我がままばかりとおしましたね。けれどもあれも私の甘え心だと思って許して下さいね。 晴れて特攻隊員と選ばれて出陣するのは嬉しいですが、お母さんのことを思うと泣けて来ます。母チャンが私をたのみと必死でそだててくれたことを思うと、何も喜ばせることが出来ずに、安心させることもできず死んでゆくのがつらいのです。(1) |
「国のため」という大義名分の裏で、家族への引き裂かれるような思いを抱えたまま散っていった命。戦争がもたらす冷酷な現実が、この数行に凝縮されています。
戦後、総長に就任した末川博は、教え子たちを戦場に送り出してしまった悔恨に震えました。その断腸の思いから、彼はある行動を起こします。戦没学生の嘆きと怒りを象徴するブロンズ像「わだつみ像」を、立命館大学に迎えることでした。
彫刻家・本郷新の手によるこの像は、当初は東京大学に設置される予定でしたが、当時の政治的混迷の中で拒絶され、行き場を失っていました。それを知った末川が主導し、大学として受け入れを決断したのです。
1953年12月8日、像の除幕式で、台座に末川の言葉が刻まれました。
| 未来を信じ未来に生きる。そこに青年の生命がある。 その貴い未来と生命を聖戦という美名のもとに奪い去られた青年学徒のなげきと怒りともだせを象徴するのがこの像である。 なげけるか いかれるか はた もだせるか きけ はてしなきわだつみのこえ |
「未来を信じ、未来に生きる」というフレーズは、けっして軽やかな応援の言葉ではありません。若者の未来を二度と国家の狂気に奪わせないという、深い悔悟を伴った「不戦の誓い」だったのです。
戦後80年を経た今も、地球上では同世代の若者たちが戦火に命を奪われ続けています。「未来を信じられること」は、決して自明の権利ではありません。
では、その未来を保障されている日本の中高生は、どう生きるべきか。日常の中でできることは、大きく二つあります。
一つは、世界で起きている現実に「無関心でいないこと」。本やニュースを通じて歴史と現在を学び、知ろうとすること自体が平和へのささやかな加担になります。
もう一つは、「教室という日常に平和を築くこと」。誰かを孤立させないこと、からかいや決めつけで他者を傷つけないこと、困っている人の隣に立つこと。
「未来を信じ、未来に生きる」とは、奪われた先人たちの未来の重みを受け止め、誰もが未来を信じられる社会を、私たちの手で地道に作り続けていくことではないでしょうか。
注釈
(1) 日本戦没学生記念会編『新版 きけ わだつみのこえ―日本戦没学生の手記』岩波文庫、1995年。
(2) 本稿作成にあたり、以下のサイトを参考にしました。
・立命館史資料センターサイト「『未来を信じ 未来に生きる』の意味」
https://www.ritsumei.ac.jp/archives/column/article.html/?id=72
・立命館史資料センターサイト「『不戦のつどい』『わだつみ像』そして『教学理念』」
https://www.ritsumei.ac.jp/archives/column/article.html/?id=239