立命館学園の建学の精神である「自由と清新」、教学理念である「平和と民主主義」をふまえ、立命館守山中学校・高等学校は、「Game Changerになる」ことを学校の教育目的に掲げています。そして、本校では、「Game Changer」を「多様な価値観を持つ他者と協働しながら新たな価値・ルールを社会に提案・実装し、社会に希望を生みだす人」という意味で再定義しています。
第2回校長ブログは、一千年前のGame Changerのお話です。

十年ほど前、学校現場から法人本部へ異動となり、久しぶりに電車通勤となったので、車内で長編でも読もうと、電子版の与謝野晶子訳「源氏物語」を再読することにしました。しばらく遠ざかっていた「源氏物語」でしたが、読み進めるうちに「これは……」という場面に遭遇しました。第二十一帖「乙女」における、光源氏33歳の時の話です。

当時の平安貴族は、立場が上になるほど、自分の息子が元服(成人)した時に最初から高い地位を与えるのが普通でした。しかし、光源氏はそれを好ましくないと考え、自身は太政大臣の地位にあるにもかかわらず、当時の常識に反し、息子夕霧に対してわざと低い地位から社会生活をスタートさせます。そして、大学寮に入れて一般貴族と同列に扱い、教育を受けさせることにします。

光源氏は友人に以下のように語ります。

貴族の子に生まれまして、官爵が思いのままに進んでまいり、自家の勢力に慢心した青年になりましては、学問などに身を苦しめたりいたしますことはきっとばかばかしいことに思われるでしょう。〔中略〕家に権勢のあります間は、心で嘲笑はしながらも追従をして機嫌を人がそこねまいとしてくれますから、ちょっと見はそれでりっぱにも見えましょうが、家の権力が失墜するとか、保護者に死に別れるとかしました際に、人から軽蔑されましても、なんらみずから恃むところのないみじめな者になります。やはり学問が第一でございます。日本魂をいかに活かせて使うかは学問の根底があってできることと存じます。〔中略〕将来の国家の柱石たる教養を受けておきますほうが、死後までも私の安心できることかと存じます。(1)

こうした光源氏の考え方は当時の常識に対して「新たな価値」を提示しており、見方によっては貴族社会批判とも取れます。しかし、その先見性は一千年の時空を越えて現代の教育論にも通じるものであり、その意味で、紫式部は平安時代のGame Changerであったと言えるでしょう。

現在、NHK大河ドラマ「光る君へ」が静かなブームのようです。これまで、大河ドラマと言えば、戦国時代か幕末が定番でしたが、今回初めて紫式部が主人公に取り上げられました。これからの放送で、上記エピソードが劇中劇として採用されるかわかりませんが、個人的には大いに注目しているところです。

(1)与謝野晶子訳・紫式部『全訳 源氏物語 新装版』角川文庫、2008年。

※この記事は、4月10日の入学式式辞に加筆したものです。